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読書感想文『花神(中)』


中巻では、蔵六の指揮官としての能力が開花していくのが見せ場だ。

蘭学者だった人間が軍の指揮官を務めるなんて、普通の人間は思わない。畑違いだと思うのではないだろうか。
だが、桂は蔵六の能力と、人間性を認め、それに応えるように蔵六も能力を発揮させていく。

中巻を読んでいて、人間の能力について考えさせられた。
言うまでもなく、蔵六は能力のある人間だ。論理的な思考と、確固たる信念を持ち合わせ、そして知識もある。
組織でトップに立つ人材として、またとない人材だと思う。

ただ、蔵六がいかに優秀でも、それだけではきっと駄目なのだ。
自分のことは自分が一番わかっていると思いがちだが、実際、自分のことは自分が一番わからないと私は思う。
蔵六も蘭学者として暮らしていた自分が、軍の才があるなどと最初は夢にも思わなかったのではないか。

そこで大事になってくるのが、能力を見抜き、最適な役割を与える人間だ。中巻では桂小五郎がそれだろう。
人の良い部分を見つけ、能力を発揮できる環境に置き、そしてモチベーションを上げてくれる。
そういったことが出来る人間もまた、またとない人材で、組織に不可欠なのだろう。

人間には色々な種類の天才がいるのだなと感じた。

歴史の推移を学ぶと同時に、色々なことを考えさせてくるのは、さすが司馬遼太郎だとつくづく思う。
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読書感想文『花神(上)』


 司馬遼太郎といえば、中学生の頃に『燃えよ剣』を読んで以来、久しく著書を手にとっていなかった作家です。
 当時は読了後、日野・多摩まで行きました。
 司馬遼太郎の書く作品は重たいですが、読み終えた後、歴史をもっと知りたくなる魅力を持っていると思っています。
 
 なお、蛇足ですが、司馬遼太郎好きの友人によれば、彼は『幕末』という小説も書いているそうで、その小説の中には『桜田門外の変』という短編が収録されているとのことでした。
 前回までの読書感想文で、桜田門外の変の世界にどっぷりつかっていた私としては、少し気になっています。
 
 話を戻すと、『花神』は、その司馬遼太郎の歴史小説であり、村田蔵六(後に大村益次郎と呼ばれることになる男)の物語だ。
 
 そもそも私は、大村益次郎が村田蔵六と呼ばれていたこと自体知らなかったし、大村益次郎に対しては「確か幕末らへんの人」という、ひどくお粗末な認識しか持っていなかった。

 その彼が、田舎で暮らす村医の長男坊から出世(というか、世の中に与える影響力を大きく)していく過程が「ああ、幕末だな」と感じた。
 激動や混乱の時代の中で、いろいろな制度や慣習が崩れ始めほころび始めていく幕末だからこそ、それまでの枠組みでは能力を発揮できなかった、日の目を見なかった人々が活躍できるのだと思う。
 そして蔵六もその中の一人なのだと思うし、あの井伊直弼も同じではないのだろうかと思う。

 とにかく、上巻だというのに目まぐるしい。
 場所・出会う人・立場・思想。上巻に引き続き、それらのものがどんどん移り変わっていくであろう中巻・下巻も楽しみです。

読書感想文『柘榴坂の仇討』

 『花の生涯』は開国推進派である井伊直弼を、『桜田門外ノ変』は攘夷派である関鉄之助を描いた物語だった。
 今回の『柘榴坂の仇討』は、その両陣営に属していた者達を主人公にした物語だ。
 短編ということもあり読みやすく、描写される風景も台詞も印象的で、美しいものばかりだ。
 
 歴史の描写はやや物足りなく感じたが、先に『花の生涯』『桜田門街ノ変』を読んでいたこともあり、特に問題はなかった。むしろ「ああ、あの場面をこの本ではこう書くのか」と違う視点から描かれる事象を楽しむことができた。
 そんな本書であるが、主人公である志村金吾も直吉(佐橋十兵衛)も、立場は違えど、根本的にはとても似ているのだと感じた。
 両者は、一途で、譲れない思いを持った「侍」なのだ。だからこそ幕末の動乱が終わり、日本が変わっていっても、金吾や直吉だけはそれぞれの場所に取り残され、どこへも進めないままでいたのだ。
 そんな不器用な二人が、13年の歳月の末邂逅し、あの日と同じ雪の中で「垣根」を越えようとする。
 皮肉だと感じる人もいるのかもしれないが、私はそれを悲しいけれど人間らしいと感じた。

 桜田門街の変をテーマにした本を読むのはこれで3回目だが、読むごとに物事に対して結論を出すことの恐ろしさや複雑さを痛感する。
 日常の中の些細な出来事や、世間をにぎわすニュースに対し、いろいろな考えを自分なりに出している。
 その影響力の大小はあれど、導き出したその考えは本当に正しいのか、常に疑っていかなければならないのだと思う。
  

 

読書感想文『桜田門外ノ変(下)』

 いよいよ下巻では、主人公・鉄之助は本懐を遂げ、井伊直弼の首を掲げることに成功する。
 しかし、鉄之助達の思い描いたものとは違った方向へ歴史は進んでいき、かつての同志達は次々と命を落としていく。
 桜田門外での出来事は存外あっさりと描写され、むしろ作者が力を入れているのはその前後といった印象だ。
 上巻に引き続き、冷静な第三者視点で語られていく。

 本書を読み思ったことは、彼らの行為に名前をつけるとするならそれは何なのだろうということだった。
 「革命」なのだろうか。それとも「クーデター」なのか。もしくは「反逆」であるのだろうか。
 どれも正解のような気もするし、間違いであるような気もする。

 鉄之助達が井伊を殺したことで、確実に歴史は変わっただろう。政治のトップを変え、最終的には政治機関まで変えてしまうのだから。
 だが、作中有村が井伊の首をかかげてみせたとき、そこに人間の理性や知性といったものが私には感じられなかった。
 彼らは崇高な思想を持ち、日本の将来を憂いていた頭の良い人達であるはずなのに、結局方法として選んだのは暴力であり、殺人だった。それが釈然としない。
 仕方がないことなのかもしれない。彼らと同じ状況ではないから、現代に生きる人間だからそんなことが言えるのかもしれない。
 それでも、鉄之助達の辿るその後を考えると、血で血を洗う方法が正しいとは思えない。

 こういった出来事は日本に限らず、世界史の中で散見される。
 ちなみに、作者の吉村昭も桜田門外の変を、二・二六事件と似ているとあとがきで述べている。
 「歴史は繰り返す」という言葉が大抵良い意味ではないということは、悲しいことだと感じた。
  
 

読書感想文『桜田門外ノ変(上)』


前回読んだ『花の生涯』は、井伊直弼を主人公に据え、彼ら側の人間を情感豊かに描いた歴史小説だった。
井伊直弼視点ということもあり、彼の暗殺は悲劇的に思えるし、それを実行した人間達に対する描写はどうしても冷たい印象を受けた。

そう思うと、今回読んだ『桜田門外ノ変』は、まったく対照的な小説と言えるだろう。
主人公は暗殺の実行部隊の指揮者であり、水戸藩士である関鉄之助。
作品の雰囲気も、男女の人間模様の描写が多かった『花の生涯』とは打って変わって、いかにも「歴史」小説といった感じがした。

関鉄之助にとっては井伊直弼は排斥すべき敵である。ゆえに彼は井伊直弼暗殺に動き出す。
井伊直弼の水戸藩に対する(仕打ちとさえ言える)措置を前にしてみれば、それも何らおかしくないことに思えてしまう。

環境や条件などが違えば、思想なんてものは簡単にひっくり返り、変わってしまうものなのかもしれない。
そう思うと恐ろしいなと感じる。

下巻、本懐を遂げることになる彼のその後がとても気になるので、そこに注目したい。

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